(株)けやき建築設計・欅組代表の畔上順平社長は、宿場町で栄えた越谷の賑わいを取り戻そうと、長い間空き家になっていた旧街道沿いに建つ築120年の古民家を、地域資源として保存・改修し、まちづくりの拠点として再生しました。建物のオーナーや地元企業との協力関係、改修のプロセスやその効果などについてお話をうかがいました。
大手デベロッパーと協業して古民家を再生し、旧宿場町の賑わいを創出する
──まちづくりに取り組まれたきっかけについて教えてください
大学では建築を専攻し、中山間地区の集落の調査などをしながら地域再生の研究をしていました。卒業後一度は東京で就職しましたが、自分なりに建築を通じてまちづくりに関わっていけたらと思い、地元越谷に戻り、2005年に自ら建築設計事務所を開設し、2011年に施工会社を設立しました。
私が生まれ育った場所は越ケ谷本町で、日光街道の宿場町として栄えた越ケ谷宿があったところです。徳川家康が鷹狩のために度々訪れたことでも有名で、日光からの帰路、越ケ谷宿に泊まり江戸に入る人も多かったようです。近年、越谷市は東京のベッドタウンとして発展し、人口は34万人と県内5番目の規模になりましたが、東日本大震災の際に、人と人との関係の希薄さを感じ、それを取り戻す必要があるのではないかと感じました。一方、このあたりは江戸時代から続くお祭りがあり、古い建物も残っており、人とのつながりが比較的残っている地域でした。そこで、ここを起点に、越谷市でまちづくりのきっかけをつくることができればと思いました。すると、ちょうどその時期に同じことを考えていた人たちが周りにいたのです。
──まちづくりの活動は何から始められたのでしょうか
偶然、志を共にする方たちと商店会の中で出会うことができ、2011年に、10名くらいの仲間と“旧日光街道・越ケ谷宿を考える会(以下「考える会」)”を立ち上げました。考える会では、まずオーナーとの関係性を構築すること、次にまちの魅力を知ってもらうことを方針に掲げ、歴史ある建物の清掃やオーナーへのヒアリング、建物を利用したイベントの実施、旧越ケ谷宿のまちを巡るガイドツアーなどを行ってきました。そのようなことを積み重ねていくと情報が集まってくるようになります。まち歩きツアーのリピーターの中から「空き店舗が出たら貸して欲しい」という人が現れたり、「あそこが活用されたのならうちもそろそろ考えたい」というオーナーが出てきました。
──「はかり屋」を展開している旧大野邸を保存することになった経緯を教えてください
約120年前に建てられたお屋敷(旧大野邸)は 旧日光街道沿いにあるランドマーク的な存在で、私たちは高い関心を持っていました。越ケ谷本町の最後の砦のような存在でしたし、オーナーに対しても、「何か事情があっても、この建物を残して活用する方向で考えて下さい。私たちがお手伝いしますし、その際は相談してください」とずっと伝えていました。オーナーも、「先祖から引き継いできた建物なので、粗末にしたくないし壊すつもりもない」とおっしゃっていたので安心していました。ある日、オーナー家に相続が発生したという話を耳にしました。それまで建物は残すとおっしゃっていたので何とかなると楽観的に考えていましたが、しばらくすると「売るらしい」という噂を会のメンバーが聞きつけてきたのです。すぐにオーナーに事情を聞きにいったところ、「いろいろ調整したが残すのが難しくなってしまった。申し訳ない」との回答。それ以上深入りする訳にもいかず、「どこが買ったのかだけ、差し支えない範囲で教えて欲しい」と聞くと「中央住宅」さんということでした。そこで、中央住宅さんは知らない間柄でもないし、地域の事を考えている会社だと知っていたので、社長に直談判に行くことにしました。
旧大野邸の外観
──大手企業の社長に直談判とはすごい情熱ですね
その時点で、既に、更地にして4棟新規分譲するという計画や、解体する日程なども聞こえていましたので、実際は「もう駄目かな」と思っていました。ただ、中央住宅さんが近くで「油長内蔵(あぶらちょううちくら)」という内蔵を、まちづくり相談処として改修・保存したことを知っており、その頃から社長とも面識があったので、脈はあるかもしれないと思っていました。そこで、直接お会いして、旧越ケ谷宿を中心としたまちづくりの想いや、この建物の歴史的な価値、建物を残すことによる会社のメリットについてお話ししました。当然、蔵一つ残すのと、新築戸建て4棟分の事業を止めるのでは規模も金額も全く違います。社内でもかなり議論があったと聞きましたが、最終的には社長のまちに対する想いから、残すという決断してくれたのだと思います。
──旧大野邸はどのような建物なのですか
ここは天秤や分銅などの計量器などの商いをしていた「秤屋(はかりや)」と呼ばれていた建物です。敷地面積は約610㎡、旧日光街道沿いの間口は約10m、奥行きが約50mの細長い敷地に、手前に住宅主屋、奥に住宅蔵と納屋が建っており、渡り廊下でつながる町家造りです。商売は大分前にやめられていましたが、2015年に中央住宅さんが取得するまで、納屋の奥の離れにオーナーがお住まいでした。
──古民家を改修して「はかり屋」としてオープンするまで、いくつものハードルがあったのではないでしょうか
建物を残し、改修費も中央住宅さんに負担していただけることになったので、私たちにとって残るハードルは事業性をどう確保するかということだけでした。「畔上さん、この建物を残し、これからどうするつもりですか?」という問いに対する回答を出す必要があったのです。このプロジェクトの目的は、旧越ケ谷宿の賑わいを取り戻すことです。ただ、収益を生まないと事業として継続しないので、「複合商業施設にしたい」とお話をしました。すると「どんな店舗を入れるのですか?」と問われます。大手資本のお店ではなく、越谷にゆかりのある飲食店を集めたいと考えていましたが、越谷市に観光で訪れる人はほとんどおらず、この辺りは駅から歩いて15分はかかります。そこで、ここに集まる人の属性を知り、どのようなお店を誘致するといいのかを知るために、何回かイベントを開きアンケートを実施しました。いわばリーシングのための社会実験です。
幸い当社の設立メンバーの一人に北越谷で古い蔵を改修してレストランを経営している人がおり、その方が中心になってテナント候補になる店を呼んでくれました。すると、面白い場所が出来るらしいと噂が広がり、いろいろな事業オーナーたちが集まってくれました。最終的に、フレンチレストラン、“キッシュ”の販売もするカフェ、マッサージ店、西洋植栽の店、日替わりで教室や展示場所として使われるギャラリーなど、このプロジェクトの趣旨に賛同し、同じ価値観を持つ6店舗が決まりました。ただ、テナントが決まるまで1年半ほどかかってしまったことから、建物の改修に着手できたのは2017年、オープンしたのは2018年4月でした。
改修工事の方針は、昭和に入って加えられたものを全て取り除き、当初の明治時代の建物にできる限り戻すことでした。複数の店の動線を確保するために、裏口を表玄関にしたり、水回りを集中したりしましたが、新建材を使ったり増築された箇所は全て解体し、既存部分と調和させるためにエイジング加工した材料を使用しました。ただ、長い間空き家になっていたので、雨漏りもしていましたし、建物の傾きもあり、最終的に改修費は5,000万円近くかかりました。これほど大きな金額を集めるのはクラウドファンディングでは難しく、中央住宅さんのような大企業の支援がないと不可能だったと思います。今後、旧宿場町の魅力を高めるために旧日光街道沿いに今でも残る10軒ほどの古民家を保存し、利活用したいと思っていますが、大手資本あるいは行政の積極的な支援がないと難しいという点が大きな課題です。
その後、この建物は「旧大野家住宅」として国登録有形文化財に指定されました。地域の人に、その価値について改めて評価してもらうことができました。
左:明治時代の建物はそのまま保存した 右:バラエティに富んだ6店舗が入居
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