空き家だった古民家の保存・改修をまちづくりの起点に ~「はかり屋」~

再生した古民家を拠点に新たな事業オーナーを呼び込み、人を育て、まちを魅力的にしていく

──はかり屋の事業の進め方について教えてください

はかり屋の事業スキームは、中央住宅さんから当社が建物を借上げ、テナントにサブリースするというものです。建物を再生するにあたり、はかり屋を専属でマネジメントする管理会社をつくる必要があることから、考える会から独立する形で2018年に一般社団法人越谷テロワールを設立しました。テロワールはワインの用語で、「同じ品種でも場所が変わると味が変わる」という意味です。同じ地域活動でも越谷らしさを出そう、という意味で社名にしました。

オープンしてから1年半ほどでコロナ禍になってしまったこともあり、6店舗のうち5店舗が既に入れ替わっています。ただ、どこも倒産したわけではなく、どちらかというと次のステージにステップアップしていったという感じです。実際に、「Naya」というクリエイティブスペースでは、最初は月1回開店だったお店にファンがつき、週1回に頻度が上がるなど、いつ独立しても大丈夫なお店に成長しています。そのように、ここが起点となり、事業オーナーを創業支援することで、彼らが周辺の空き家を使ってビジネスができるようになれば地域に活力が生まれます。そのような循環をつくっていきたいと思っています。

テナントには、「当社は家賃の収納代行会社のようなもので、管理費をほとんどとらない代わりに管理は自分たちでやって欲しい」と伝え、トイレほか共用部の清掃などは全てやってもらっています。地域の商店会が衰退した理由は、会費さえ払えばなにもしなくてもいい、と各店舗が人任せで主体的に動かなくなったからだと思います。はかり屋全体は一つの商店会のようなものです。そのような反省を踏まえて、月1回店子会議を開き、輪番制で店子長になってもらい、皆で掃除もするし、はかり屋全体のことを考えてもらうよう徹底しています。

──はかり屋が出来たことでまちに変化が生まれましたか

一番の大きな変化は商店会に表れました。はかり屋のある場所には元々越谷本町商店会があったのですが、6年前に解散してしまいました。はかり屋のプロジェクトを始めた時も、周りの商店主からは、「畔上君、こんな廃れてしまったまちでこんなことやってどうするの?」と冷ややかに見られていました。それに対して、「ここに人が集まって賑わいを取り戻せる日が必ず来ますので、長い目で見ていてください」と言い続けていました。その後、施設が完成し、コロナ禍で停滞した時期もありましたが、市外からも人がやって来るようになり、しかも、今までになかった数の若い世代の人たちが遊びに来てくれるようになりました。

さらに、旧本町商店会に店が増えてきたので、隣接の新町商店会から、2つあった商店会を合体して1つでやっていこうという話が出ています。私たちは観光地になることを目指しているのではなく、日常使いの店ができ、賑わっていけばいいと思っています。まだ点の動きでしかありませんが、線で結びつけていくことで楽しいまちにしていきたいと思います。

2016年12月に、同じ旧日光街道沿いの空き家だった建物にコミュニティカフェ「CAFE803」がオープンしました。この建物は古民家ではなく、昭和40年代に建てられたRC造の建物で、証券会社が撤退してから20年以上空きビルになっていました。しかも、商店街の真ん中に位置しとても目立つ建物です。そこで、考える会の創業メンバーで商店会の会長が「このままだと商店会が廃れてしまう」という危機感から建物を借り上げて改修し、コミュニティカフェを始めました。

当社と同様、考える会から独立した人たちが株式会社まちづくり越谷をつくり、施設の運用母体となり、カフェはベーカリーを兼ね、越ケ谷TMO[1]と市民ボランティアが運営する地域インフォメーションセンターや新しく店を持ちたい人たちのための創業支援の窓口にもなっています。店内にある幅4mの黒板には情報黒板として、料理教室や趣味の教室など市民による講座情報がびっしりと書き込まれています。カフェの中のあちこちで教室が開かれており、地域のサードプレイス的な場所になっているようです。皆さんが熱心に参加している様子を見ると、人口が増えたけれど人との関係が希薄になる中、このような繋がりが生まれる場が求められていることがよくわかります。


[1] TMO(Town Management Organization):中心市街地における商業集積の一体的かつ計画的な整備を運営・管理する機関

「CAFE803」の外観

──今後の展望について教えてください

越谷市では毎年秋に、“技博”(2024年は終了)というイベントが開催されます。これは、一般市民が手仕事・特技・趣味などの技や知識を伝えるワークショップイベントで、教える側の“技人”や学ぶ側の“学人”が何百人も登録しています[1]。発信したい人と教えたい人がこんなに多くいるということは、それだけここで商売したい人がいるということになります。これが、越谷市の一番の財産だと思っています。都心と地方の真ん中にあり、特に特徴があるわけではなく、過ごすには何の不便もないまちに、これだけたくさんの特技を持っている人がいて、表現できる場所を探しているということに大きな可能性を感じます。ただ、この人たちが一人でビジネス始めても上手くいきませんので、皆が手をつなぎ、上手く商売できるような仕組みづくりをすることが大切だと思います。昔、商店会ができたのも「一人では大変だけど皆で助け合っていけば上手くできるはずだ。共に助け合っていこう」という目的で生まれたはずですよね。その現代版をこのまちでつくっていきたいと思います。


[1] 41日間で123の講座が開催される(越谷市資料より)

カフェの黒板には様々な講座予定が記入されている

(文:岡崎卓也)

畔上順平氏
1976年越谷市越ヶ谷本町出身。芝浦工業大学大学院建設工学専攻修了。
一級建築士。木造建築を中心に住宅や店舗の設計・施工を手掛けながら、地域の仲間と共にまちづくり会社を2社立ち上げ、地域の価値を上げる活動に実践的に取り組んでいる。地域課題を肌で感じながら解決を計る為に、行政や企業との連携を模索している。

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